おくのほそ道|鳴子温泉郷
おくのほそ道|鳴子温泉郷

 大和時代から鎌倉、室町そして戦国時代を経て江戸時代まで陸奥地方は政治、経済、文化等、様々な変遷を繰り返してきた。
平安時代に朝廷は先住民蝦夷との権力闘争に勝利し、名実共に武士が政治の実権を握る鎌倉幕府開幕まで朝廷支配が続くが、その後は武士による国家統制が行われる。
室町時代には武士達がお互いに領土拡張や権力闘争のため度々戦乱を引き起こし、室町時代の政治は安定しないまま戦国時代の世に入った。
 この頃陸奥地方を治める大崎氏は羽前(現山形県)及び羽後(現秋田県)と隣接する鳴子地域の尿前に番所(関所)を設け、隣国との往来に神経を使っていたことが窺われる。

松尾芭蕉の「おくのほそ道紀行」に登場する名生定、小黒崎、美豆の小島などの名称は、平安時代の昔から風光明媚な歌枕の名勝地として知られ今日まで連綿として使用され続けているのだが、松尾芭蕉が通った1689年(元禄年間)頃は、領国境という地勢から尿前の関を通って羽前(現山形県)に向かうことは厳しい山越え谷越えの連続で大変な思いをしたと述懐している。
現在は当時の雰囲気を味わうことのできる「おくのほそ道」出羽・仙台街道として整備されている。